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最近読んだ、短歌おすすめ本
『考える短歌―作る手ほどき、読む技術』
読者からの投稿作品を叩き台にして、「こうすればもっと良くなる」と添削指導する本。たとえば「も」という助詞は安易に使うなとか。薄くて読みやすく、それでいて具体的で役立つ提言が盛り沢山の本。
俵万智の歌はあまり好きではないが、この人は歌の添削や評論をさせると非常に良い仕事をする。
『NHK短歌 作歌のヒント』
「NHK歌壇」の連載をまとめた本。短歌の中級者以上向けに、作歌の技術や注意点などを教えてくれる。例に挙げられている歌は近現代短歌の名作や新聞投稿の優秀作など。数値の効果的な使い方、リフレインの上手な歌の例、ルビはどのように振ったらよいか、などの技術的な指導の他、「歌は万人に分かってもらおうとする必要はない」「他の歌人の作品を、秀作ばかりでなく駄作も合わせてたくさん読め」等々の大胆な提言もなされている。
この人の文章は分かりやすいし、歌の指導や解釈などが非常に巧みである。
『科学を短歌によむ』
著者は朝日歌壇の常連投稿者。本職は地質学者である。科学者仲間に向けて、科学者ならではの短歌を詠もうと呼びかける。研究活動での出来事を題材に詠んだ自作を含め、過去に科学者たちが詠んだ短歌もたくさん紹介されている。中でも、湯川秀樹の歌集『深山木』(「湯川秀樹著作集」第7巻「回想・和歌」
有名歌人に科学者や医者は多いが、こういう視点で書かれた短歌の本は珍しい。引用されている歌は必ずしも秀作ばかりではなかったが、新鮮な気持ちで読めた。
街の風景
1つは、この歌。
街路樹の傍(かたへ)に停めしタクシーに運転手凭(よ)るやや俯(うつむ)きて
角川『短歌』2009年4月号 秀逸 花山多佳子選
今年の1月号から「公募短歌館」の選者は1人増えて4人になった。入選しやすくなったと思いきや、1選者につき「秀逸」の数が半分になり、選者評をいただける人数がその分減った。そんな中、この歌は秀逸の第2席になり、花山先生から「なんでもない情景だが“やや俯きて”に作者のこころの届き方が見える」と、短いながらも評をいただけた。
自分としては凡作のつもりで、入選など期待していなかったのだが。
もう1つの歌。
雨宿りしつつ夜の街歩みゆく店々の軒の長さいろいろ
角川『短歌』2009年4月 佳作 香川ヒサ選
いずれの歌も、歌からだけではどこの街か分からない・・・というより、世界中どこの街であってもおかしくない風景であろう。
実はこの歌2首とも、昨年の初夏に訪れた沖縄・那覇の街を詠んだものである。特に南国らしいものを詠み込んではいないから、全くそれらしく見えないだろうが。この何度目かの沖縄の旅では、那覇の他に2つの離島へも行った。そこで見た自然を詠んだ歌も一緒に投稿したのだが、残念ながらそれらはボツになってしまった。
今日、勤務先近くの桜の花も4分咲きくらいになっていた。本格的な春ももうすぐ。春の良い歌をたくさん作りたいと思う。
最近読んだ歌
1/17(土)の日経新聞の夕刊で、歌人の佐伯裕子さんが紹介していた歌。「薄明薄暮集」(2007年刊)の一首で、年の初めに歌われたものらしい。諦(あきら)めよ、諦めよとて降る雪を遠つ御祖(みおや)もかく仰ぎけむ
(高島裕)
作者は東京での生活を断念して富山県に帰ったという。ただでさえ傷心でいるところへ、北陸地方の冬は毎日雪が降り続く。絶望的な思いで空を見上げながら、遠い先祖のことや自分の生れ来し方に想いをめぐらせるのだろう。しかしまだ諦めてなるものかという意地も感じられる。
そして、先日の歌会始の歌。お題は「生」。選者が大幅に交代したせいだろうか、今年は良い歌が多く、お題の通り「生き生きと」した歌が揃っていた。
入選の歌では、特に以下の歌が気に入った。
建物の外を通りかかったときに窓が開いているのを見ると、あの中にはどんな人がどんな思いでいるのだろう、と想像して楽しくなる。私も過去にそういう歌を作った。梅雨晴れて校舎の窓の開(あ)くが見ゆ一年生は椅子に慣れしや
(山形県 木村克子)
注射器のガラス管って、採血の血が入ってくると確かに曇る。よく観察した歌だと思う。こういう何気ない題材を歌にするのは、相当歌に熟練しないとできない。生命(いのち)とはあたたかきもの採血のガラスはかすかにくもりを帯びぬ
(千葉県 出口由美)
佳作の歌は、以下の歌が良い。佳作でなく入選になってもおかしくなかった歌だ。
「蝌蚪(かと)」って何だろうと思ったら「おたまじゃくし」のことだそうで。並の人だと「おたまじゃくし」6音でしか表現できないものを、「かと」2音で表現できたのは良くやったと思う。こうすれば歌に他の言葉をたくさん盛り込めるから。上手な歌を作るには語彙が豊富でなくてはならない。あしたにも干上がりさうな沼の辺に蝌蚪(くわと)ら生きをり頭(づ)を寄せ合ひて
(宮崎県 赤崎敏子)
何度か朝日歌壇あたりで見かけたお名前の方。春先、一面の田に水が張られている風景は、本当に美しい。私も過去に同じような風景を歌にした。私の歌は北上盆地だったけど、讃岐平野の田んぼはどんなだろう?田に水のつぎつぎ張られ見はるかす讃岐平野に空生まれたり
(香川県 藪内眞由美)
それにしても、水の張った田に空が映っている風景を「空生まれたり」と表現したのは大したものだ。なかなか思いつく言葉ではない。
久々に人の歌を読んで触発された。近頃はほとんど歌を作っていなかったが、今年はなるべくいろんなものを見て、いい歌を詠んでいきたいと思う。
蛙の思い出の歌
水面(みのも)より掬ひし蛙の卵塊(らんかい)に胚ら小さき尾を持ちてをり
角川『短歌』2008年12月号 秀逸 吉川宏志選
今回の入選は「秀逸」の上位だったので、選者の吉川先生が評を書いてくださった。選者評をいただいたのは、2004年6月号で古谷智子先生の特選になった時以来。実に久々で、嬉しかったので全文UP。
吉川先生はずいぶん詳細な解説をして下さったものだ。近頃はカエルの卵なんて見たことのない人が多いから、このくらい説明しないと歌の内容が分からないと思われたのか。蛙の卵は透きとおっていて、おたまじゃくしが育っていく様子がよく見える。「胚ら小さき尾を持ちてをり」と、卵塊の様子をしっかりと観察して歌っているところがよい。たくさんの卵のなかで、無数の尾が揺れ動いているのである。生命の迫力を実感する一瞬である。
(参考)カエルの卵塊オンパレード・・・様々なカエルの卵の写真が見られます。
この歌は、子供の頃の出来事を思い出して詠ったものである。確か小学校の1年生か2年生の春、土曜日の午後だったと思うが、姉と姉の友達と一緒に、おたまじゃくしを採りに行った。私達の通っていた小学校の裏手には畑や竹薮が残っていて、用水路から流れてきた水が淀んでいる場所があった。そこにカエルの卵がたくさん産み付けられていて、おたまじゃくしがウジャウジャいた。私達以外にも多くの子がおたまじゃくし採りに来ていた。
卵は観察しただけで採らず、家に持ち帰ったのはおたまじゃくし十数匹のみだったと思う。小さな水槽でしばらく飼っていたのは記憶にあるが、その後どうしたのだったろう? カエルになった姿を憶えていないから、足が生えてくる前にどこかへ放してしまったのだろうか?
歌で詠んだのは、細長い卵でなく丸い卵である。透明で、手に取るとキラキラ光ってつややかであった。歌の文句はかなり試行錯誤した。当初は「透きとほる」「つやつやし」「“手に”掬ふ」といった言葉も盛り込みたいと思った。しかし「蛙の卵塊」と「胚が小さき尾を持つ」の2つはどうしても外せず、残りの字数はわずかで盛り込める単語は限られた。結局この歌になったが、もっと良い表現もあったかもしれない。
なお、投稿した時に「水面」と「卵塊」に仮名を振っておいたのだが、直されずにそのまま掲載された。でも特殊な読み方ではないし、短歌をやる人なら読めない漢字ではないから、仮名は不要だったかもしれない。他の入選歌を見ると、仮名を振ってあるものは非常に少ない。